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2013年度の研究内容を更新しました。

2:35 PM
2:24 PM
神経内科の16年の歩み

(山梨大学医学部附属病院30周年記念誌 寄稿)



山梨大学医学部神経内科学講座

准教授 新藤和雅



神経内科は、1997年4月から診療科として認可され、私と長坂高村先生(現、学内講師)のわずか2名のみで本附属病院の診療を始めました。当然、1つの診療科として機能できませんでしたので、当時の第3内科女屋教授のご配慮により、入院ベッドや外来診療などは第3内科で行っていた診療のままで仕事をさせて頂きました。同年10月からは、初代教授に塩澤全司先生が就任され、4名の大学院生も加わり、最初は教室員7名で診療しておりました。入院ベッドは当時の定数は6床のみであり、共通床もなかなか空いておらず、常に満床状態でした。そのため、急な入院が難しく、県内の関連病院に入院を御願いする必要があり、連日のように市立甲府病院神経内科など多くの病院にご協力頂きました。当直についても、6名のみで開始してみましたが、収入面から外勤の当直もする必要があり、当直の回数が増えすぎて、結局土日はオンコール体制をとることにして何とかしのいでいました。また、医局も現在の内科外来13番の部屋とポリクリ室のスペースのみでしたので、狭い場所しか確保できず、当時の医局員には大変な苦労をかけてしまいました。翌年には、病院2階に2倍程度の広さの医局を作って頂きましたので、一息つけた思いであったことが思い出されます。当時5年間程医局長をさせて頂いたものとしては、苦労の多い医局にもかかわらず毎年1名づつは新入医局員がいたことは、大変ありがたく感じました。最初の4−5年は臨床と教育面を充実させることで手一杯の状況でしたが、研究面でもそれぞれにテーマを決めて、どんな仕事でもいいから、自分の得意分野を作って学会発表していこう、と常に医局員にはハッパをかけておりましたが、なかなか業績は増えませんでした。個人的には当時の様々な神経疾患患者さんから記録した神経活動のデータは、今でも大変役に立つ貴重な記録となっており、継続することの重要性を改めて認識できました。また、印象深い出来事としては、愛知万博が開催された2005年に、開催前の日本館の中のソニー製大型スクリーン視聴の安全性を確認する検討を現地で行ったことが思い出されます。まだ、工事中の状態でしたので、ヘルメットをかぶって脳波や血圧の記録を行いました(写真1)。解析可能な脳波記録ができるのか大変不安でしたが、思いのほかノイズの少ない記録が可能でした。フィールドワークが好きな私としては、たいした業績にはなりませんでしたが、大変懐かしい忘れられない思い出です。

 2008年9月からは、2代目教授として瀧山嘉久先生が赴任されました。就任前に面識のある医局員は一人もいませんでしたので、どのような医局運営をされるのか、少々不安であったように記憶しております。残念ながら、大学を離れてしまった医局員もおりましたので、当時の大学所属の医局員は8名程度であったかと記憶しております。瀧山教授が来られてからは、医局も現在の研究棟の6階に移ることもでき、教授回診の充実、学生実習への積極的な取り組みと各分野専門医による授業、学外からの著名な講師による先端的研究の講演、ライフワークである遺伝性疾患の診療の充実、などの変化がありました。親分肌の人柄が学生や研修医にも好評で、神経内科の研修医の評価は常に上位に位置するまでになりました。当然、新入医局員も毎年1−2名はあり、現在大学だけで教授含めて13名の医局員数となりました(写真2)。このように順調に発展できているのも、神経内科開設時からの医局事務を一手に引き受けて頂いた植松さんの貢献が大きかったように思います。

 今後の課題は、関連施設が県内に思うように増やすことができていないことと、研究面で個人の業績が増えるスピードが遅いことではないかと思います。遺伝性小脳変性症に対する遺伝子診断、痙性対麻痺患者に対するバクロフェン髄注療法、神経変性疾患の登録調査への協力、などの新しい取り組みも徐々に増えてきておりますが、さらに教室員が協力して研究面の発展をさせるべく努力を続けることが必要です。今後も、全ての大学及び病院関係者の協力も頂きながら、さらに神経内科を発展させていきたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。


写真1 愛知万博会場の日本館内にて(2005年2月撮影) image1193


写真2 臨床実習中の学生との納涼会(2013年7月撮影)
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